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ウィーンのボヘミアンたち―シューベルトのウィーン案内

1815~1848頃のウィーンの生活・文化様式はビーダーマイヤーと呼ばれるが、そこでは一般庶民も品の良い教養を身につけ、家庭内の平穏や身の丈にあった楽しみを重視するようになったのである。そういう時代を体現していたのがシューベルトたちシュタットコンヴィクト(首都神学校)時代の友人グループだ。彼らの生涯にわたる絆は男同士の純粋な友情に基くものだったといえるが、危険な政治思想グループと誤解されたり、現在では同性愛的結びつきだったのではないかという説もある。いずれにせよ、彼らのボヘミアン的な共同生活の裏には、ウィーンっ子特有の鷹揚さ(悪く言えばだらしない、いい加減さ)のような気質があったのだった。このような空気は、現在にいたるまで、“Wiener Gemühtlichkeit (ヴィーナー・ゲミュートリッヒカイト=ウィーン風の心地良さ)”と表現され、同じ言語圏ながらドイツとは異なる土壌を作り出しているのである。このところ急激に変貌しつつあるウィーンだが、旧市街にはシューベルトたちが生きていた当時を髣髴とさせる石畳の通りやカフェがたくさん残っているので、ウィーンを訪れた折にはぜひ立ち寄ってみてほしい。(※現在情報は2012年6月のもの、写真は2008年と2012年に筆者撮影。)

人物紹介

フランツ・フォン・ショーバー (1796~1882):俳優、詩人。悪友の筆頭。シューベルトを売春宿に手引きし、梅毒に罹る原因を作らせたのはこの人とも言われるが、真実は違うようだ。

ヨーゼフ・フォン・シュパウン (1788~1865):役人になり、経済的・物理的にシューベルトを援助した。

レオポルト・クーペルヴィーザー(1796~1862):画家、版画家。

モーリッツ・フォン・シュヴィント(1804~1871):画家、版画家。シューベルトよりずっと年下だったが、互いに慕い慕われた。

エドゥアルト・フォン・バウエンフェルト(1802~1890):劇作家。

アンセルム・ヒュッテンブレンナー(1794~1868):作曲家。

ヨゼフ・ヒュッテンブレンナー(1797~1882):アンセルムの弟。シューベルトの作品管理などしていたが、常に一歩引いた付き合いだった。

ヨハン・マイアーホーファー (1787~1836):詩人。ホモだったとされる。

ヨハン・ゼン (1795~1857):劇作家。政治的反逆児とされた。

ヨハン・ミヒャエル・フォークル(1768~1840):バリトン歌手。シューベルトの歌曲の良き理解者で、頻繁に一緒に演奏した。

レオポルト・フォン・ゾンライトナー(1797~1873):弁護士兼音楽学者。

Stadtkonvikt <旧シュタットコンヴィクト>

溜まり場    

【カフェ・レストラン・居酒屋】

◆やまうずら亭 ※正確には「金のやまうずら亭」 (ゴルトシュミートガッセ6番地)
Zum goldnen Rebhuhn (Goldschmiedgasse 6)
シューベルトらは1828年2月から溜まり場とした。ヨハン・シュトラウスも自作ワルツをよく演奏していた。
店は現存せず、現在この番地には、チキン料理のチェーンレストランWienerwaldヴィーナーヴァルトがある。

◆鵞鳥に説教する狼亭 (ヴァルシュトラーセ17番地)
Wo der Wolf den Gänsen predigt  (Wallnerstraße 17)
1828年2月まで溜まり場とした。店名はお伽話からとったもの。店は現存せず、現在はオフィスビルとなっている模様。

◆緑の錨亭 (グリューンアンガーガッセ10番地)
Zum grünen Ancker ※略してZum Ankerとも (Grünangergasse 10)
シューベルトらをはじめ、後年ブラームスやマーラーも訪れた。店は現存せず、現在、Restaurant Ma Crêperieというクレープリーになっている。

◆アイゼンシュタット城亭 (ナークラーガッセ6番地)  ※当時の番地は286。
Zum Schloß Eisenstadt (Naglergasse 6)
店は現存せず、現在はオフィスビルとなっている模様。9番地には、アイゼンシュタットのエステルハーツィ候の名を冠したワイン居酒屋「エステルハーツィ・ケラー」が営業しているし、名前の通りとても狭いこの小路には数軒のビアホールがある。

◆三鍬(くわ)亭 (ジンガーシュトラーセ23番地)
Zu den drei Hacken (Singerstraße 28)
現在もこの住所、この名前で絶賛営業中!
シューベルトの指定席は小部屋になっており(当時からかどうかは不明)、胸像が置かれている。ウィーン街歩きツアーのスポットにもなっているようで、大勢でやってきては食事もしないで写真を撮りまくる様子に店のおじちゃんは困り顔。筆者はここでランチをとり、おじちゃんとも仲良くなれたので、別の客が食事中だったにもかかわらず小部屋に案内してもらえて、お店のポストカードもいただけた。

◆グリーヒェンバイスル (フライシュマルクト11番地)
Griechenbeisl (Fleischmarkt 11)
現在もこの住所、この名前で絶賛営業中!
ベートーヴェン、シューベルトらのサインの間なぜか名前はマーク・トゥエイン・ルーム)があり、どんなウィーン案内書にも載っていないことはない観光名所になっている。

◆カフェ・ボーグナー (ジンガーシュトラーセ7か9番地:ブルートガッセとの角)
Cafe Bogner (Singerstraße 7?9?)
シューベルトらは1826年後半、夕方5時~7時によく現れたらしい。Karl Bognerカール・ボーグナー氏がやっていたその店にはモーツァルト、ベートーヴェンも通った。店は現存しない。
< ブルートガッセから向こうのジンガーシュトラーセを見る>

◆赤十字亭 (旧ヒンメルプフォルトグルント=現ヌスドルファーシュトラーセ50番地)
Zum roten Kreuz (Himmelpfortgrund=Nußdorferstraße 50)
シューベルトの生家(54番地)の2軒ほど隣にあり、一家の行きつけだった。残念ながら、1828年にシューベルトはここの魚料理を食べて吐いてしまい、そのまま死の床に伏すことになった。彼の死因については、梅毒、その治療のための(あるいは母がすでに環境中毒だったための母子感染による)水銀中毒、腸チフス、神経熱など諸説ある。神経熱は、当時原因不明の死因の代名詞として使われた病名、もしくは腸チフスの別名と言われている。ただ、腸チフスは潜伏期間が通常1週間ほどあるので、レストランの魚料理が直接の感染源になったわけではないのではないか?食べた魚に蓄積されていた水銀か鉛の急性中毒も考えられる。店は現存せず、現在この住所は集合住宅になっている。(写真左の建物)
2012ReiseA (143)

◆ハイトフォーゲル (グラーベン30番地)
Gasthaus Haidvogel (Graben30)
シューベルトは友人ラハナーとよくランチに来ていた。1880年以前にはなくなってしまったとのこと。現在この住所はチョコレートの老舗(1900年頃から)Altmann&Kühneになっている。

2008_0107WINTERREISE20070266<2008年1月のグラーベン30番地付近>

◆ツム・ブルーメンシュテックル (バルガッセ6番地、または3番地)
Zum Blumenstöckl (Ballgasse 6?3?)
1816年に始まった「ルドラムスの巣窟」と呼ばれる文化人サロンがあり、ベートーヴェン、ウェーバー、サリエリなど著名音楽家、グリルパルツァー、リュッケルト、ザイドル、レルシュタープなどの詩人が出入りしていた。シューベルトも友人バウエルンフェルトとともに入会した。ところがこの「ルドラムスの巣窟」は、当時危険思想家摘発に精を出す警察によって1826年に閉鎖されてしまった。ちなみに、Ballgasse 4にはベートーヴェンの弟カールが住んでいた。店名は1980年代までZum Blumenstöcklといったが、Zum alten Blumenstockを経て、現在はZum neuen Blumenstockとして、絶賛営業中なもよう。しかし同じ番地にはBodega Floresというスペインレストランもあることになっている。

◆カフェ・ヴァッサーブルガー (サイラーシュテッテ14番地/ヴァイブルガーガッセ22番地)
Cafe Wasserburger (Seilerstätte 14/Weihburgergasse 22)
オーナーのレオポルト・ヴァッサーブルガー氏Leopold Wasserburgerの名前を冠した店は、ショーバーのお気に入りだった。店は現存せず、現在はカフェ・バイム・ローナッハー Cafe beim Ronacher  (Seilerstätte 14)とグリル&バーのRIBS (Weihrgergasse22) になっている。

◆ハンガリーの王冠亭 (ヒンメルプフォルトガッセ14番地)
Zur ungarischen Krone (Himmelpfortgasse 14)
店は現存せず、現在この住所は薬局“黄金の冠”Apotheke Zur goldenen Kroneなどになっている。向かいの15番地は1700年代のパルフィン伯爵家の建物(Paltische Haus)で、Der Kuckuckという良いレストランが入っている。また、6~8番地にはモーツァルトとベートーヴェンがよく訪れて演奏もしたCafe-Restaurant Frauenhuberカフェレストラン・フラウエンフーバーが現在も絶賛営業中。

◆オーク亭(樫の木亭) (旧ブラントシュテッテ632付近)
Gastwirtschaft Zur Eiche  ※Zur deutschen Eicheともいわれた。 (Brandstätte 632?)
1828年8月26日にシューベルトが友人らといたことがわかっている。ヨハン・シュトラウス出入りの店でもあった。店は現存しない。住所は、当時の絵から推察するに、現在のBrandstätte 1ブラントシュテッテ1番地ではないか?

◆ツム・シュテルン  (ブラントシュテッテ番地不明)
Zum Stern  ※旧来Zum goldnen Sternといった。 (Brandstätte番地不明)
グリルパルツァーもよく訪れた。店は現存しない。住所は、当時の絵から推察するにBrandstätte 9ではないか?そこには現在Cafe Kolbがある(1904年から)。

◆ツム・ビアザック (クッチュカーガッセ44番地)
Zum Biersack (Kutschkergasse 44)
シューベルト公園(旧ヴェーリンガー墓地;シューベルトが亡くなって最初に埋葬された墓地)のそばにあった。ここで歌曲「シェークスピアのセレナード(きけ、きけ、ひばり)」D889が誕生したと言われている。店は現存せず、現在この番地はKutschker44というモダンなレストラン・カフェバーになっている。

◆ジルベルネ・カフェハウス (サイラーガッセ18番地)
Silberne Kaffeehaus (Seilergasse 18)
1808~1855年まで存在した。初めてビリヤード台を導入したカフェで、特にバウエンフェルトはそれにはまっていたらしい。店は現存せず、現在この番地はオフィスビルらしい。

◆プフントナー・ビアホール Pfundner?Pfundtner?Bfundner? Bierhof
原語名、現在情報不明

【住居】

◆ヌスドルファーシュトラーセ50番地  Nußdorferstraße50
生家。Zum Roten Krebs 赤蟹館と呼ばれていた。今はシューベルト博物館として、愛用のメガネやピアノが展示されている。展示の譜面はコピーばかりなので、モノホンを見たければ楽友協会資料室で資料請求しよう。

◆グリューネントーアガッセ11番地  Grünentorgasse 11
1818年に一家が引っ越した。父の学校も兼ねていた。

◆ヴィップリンガーシュトラーセ2番地 Wipplingerstraße 2
1818~1821年にショーバーと一緒に住んだ。

◆ヴィップリンガーシュトラーセ21番地 Wipplingerstraße 21
1821年にシュヴィントと一緒に住んだ。

2012ReiseA (179)
2012ReiseA (180)2012ReiseA (183) Wohnhaus Mahlers2012ReiseA (177)TieferGraben
<ヴィップリンガー通りにて>

◆テヒニカーシュトラーセ9番地 Technikerstraße 9
1825~1826年にショーバーと一緒に住んだ。カールス教会の裏手にあり、記念プレートが掲げられている。

◆シュトゥーベンバスタイ14番地  Stubenbastei 14 (当時はStubentor Bastei)
1823年秋~1824年春までフーバーと一緒に、1827年には独りで住んだ。

◆ベッカーシュトラーセ6番地  Bäckerstraße 6
1826年秋ショーバーと一緒に住んだ。

◆シュピーゲルガッセ9番地  Spiegelgasse 9
1822年~1823年夏ショーバーと一緒に住んだ。

◆トゥーフラウベン16~18番地 Tuchlauben 16-18
1827年2月から数週間住んだ。

◆トゥーフラウベン26番地 Tuchlauben 26
当時の番地557?その3階に1816年秋~1817年8月まで住んだ。トゥーフラウベン12番地には旧楽友協会ホールがあり、シューベルトは生前一度だけ、自作のみのコンサートを開催した。ここには、ブラームスにまつわるエピソードでは有名な「赤いハリネズミ館 Zum roten Igel」というレストランもあったわけだが、これは建物自体の名前でもあった。そして、実は隣接する建物が「青いハリネズミ館 Zum blauen Igel」と呼ばれていたことはあまり知られていないのではないだろうか。シューベルトは、手紙の宛先や差出人住所としてしばしば「青いハリネズミ館そば」と記した。もしシューベルト協会機関誌を作るなら、誌名はブラームス協会に対抗して「青いハリネズミ」に決まりである。
2012ReiseA (188)

◆亡くなった家(兄の家) Kettenbrueckengasse 6
KettenbrueckengasseKettenbruckengasse2

【番外】

◆ヘルドリヒスミューレ (ウィーン郊外ヒンターブリュール ガートナーシュトラーセ34番地)
Höldrichsmühle (Gaadnerstraße 34 A-2371 Hinterbrühl)
「菩提樹」のインスピレーションを得た地とされる。現在はHotel Restaurant Höldrichsmühleとして絶賛営業中。
ヒンターブリュールへはウィーン市内からSバーンでメートリンクMödlingへ約15分、メートリンクからバスで約15分くらい。ホテルでは、菩提樹と井戸、その傍らのフランツ君人形が訪れる人を待っている。名物はオリジナル・シューベルト・トルテ。(嘘じゃないヨ)
2008_0107WINTERREISE20070313
<年末年始休業中だったホテル(2008.1)>

◇ウィーンの森のハイゲンクロイツ修道院と食堂
Klostergasthof Stift Heiligenkreuz im Wienerwald (A-2532 Heiligenkreuz)
ヒンターブリュールよりさらに下ったハイリゲンクロイツには、シューベルトが訪れた修道院 Stift Heiligenkreuz im Wienerwald があり、彼はそのオルガンで作曲したとされる。そのため「シューベルト・オルガン」と呼ばれるが、後年アントン・ブルックナーも弾いたとのこと。食堂はこの修道院に併設されている。(ここは未訪問)

◆金の鐘亭  (ケッテンブリュッケンガッセ8番地)
Zur goldnen Glocken (Kettenbrückengasse 8)
シューベルト違いの店。
シューベルトの亡くなった家(兄の家、同じ通りの6番地)の斜向かいにあり、店のホームページによれば、Schubertstüberl (シューベルトの小部屋)と名付けられた部屋もあるので、シューベルト巡礼者の期待も高まる。ところが、良く説明を読んでみると「ここで”François Schubert aus Dresden”が食事をした」とあるのだ。「ドレスデン出身のフランソワ・シューベルト」!?確かに19世紀前半頃、名前をフランス風に変えるのはサイコーにカックイーことで、シューベルトの初期の出版譜には”François Schubert”と記載されているものも多いのは事実だ。しかし、「ドレスデン出身」というのは間違いもはなはだしいではないか。…というのはこちらの大間違い、見識不足なのであった。同時代のドレスデンに、その人は実在していたのだった。ドレスデン宮廷歌劇場オーケストラの高名なコンサートマスターにして作曲もしたフランツ・アントン・シューベルトだ。しかもこんな逸話がある。無名のウィーンの作曲家から作品が送られてきたショット社は、本人確認をしようと、すでに名を馳せていたドレスデンのコンサートマスターのほうに譜面同封で照会した。するとドレスデンの彼は「これは私のものではない!それにしてもいったい誰がこんなばかげた曲を厚顔無恥にも貴社に送り届けたのか、知りたいし、私の名を語った男の顔を見たいものだ。」と怒り心頭だったという。その曲はあの「魔王」であった。ドレスデンのシューベルト作曲の、唯一今でもごくたまに演奏されるヴァイオリンとピアノのための小曲「ミツバチ」を知っている貴方は偉い!まさかレストランの店主も出版社と同じ勘違いをしているわけではないだろうが・・・。

【参考文献・資料】
-ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ著 原田 茂生訳 「シューベルトの歌曲をたどって」 白水社
-チャールズ・オズボーン著 岡美智子訳 「シューベルトとウィーン」 音楽之友社
Anna Hartmann, Erinnerungen Einer Alten Wienerin,Boehlau
Peter Clive, Schubert and His World: A Biographical Dictionary
http://www.europeana.eu/portal/record/92063/C36B330B9F518D3C3A5717A425B85A6EF2BCB6B8.html?start=5
1837年のウィーン案内書 
-“Studying with Sechter: Newly Recovered Reminiscences about Schubert by his Forgotten Friend, the Composer Joseph Lanz,” Music and Letters 2007 88(2):226-265, fn51.

~新日本交響楽団第89回定期演奏会 シューベルト交響曲第8番演奏に寄せて 2012年10月
(2012年12月補筆)

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ウィーンのボヘミアンたち―シューベルトのウィーン案内」への2件のフィードバック

  1. Akio Nagai

    2013年10月22日 at 13:42

    参考になりました。ありがとう!

    いいね

     
  2. watanabe

    2015年8月9日 at 23:38

    ありがとうございます!懐かしく拝見しました!菩提樹が響いてきました。

    いいね

     

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