RSS

リヒャルト・シュトラウス「4つの最後の歌」

巷では「終活」が盛んだ。「もしやこれが老い?」誰しもそれを悟る瞬間がある。宮廷文化薫る時代にミュンヘンの裕福な中産階級に生まれ、バイエルン人らしい楽天的・即物的・現実的な気質をもち、野心作≪サロメ≫や≪薔薇の騎士≫などで一世を風靡、ときに凶暴性すら帯びる管弦楽描写に加え、コメディタッチも得意とした作曲家リヒャルト・シュトラウスに、それはいつ訪れたのだろうか。

どうやら彼は長く生き過ぎたかもしれない。二つの世界大戦を生き延びたその晩年は、特に第二次大戦において、頑固なまでに芸術的エゴを貫き、政治的に無頓着だったゆえにナチに迎合したとみなされ、不遇をかこった。戦争は彼の愛したミュンヘンやウィーンの美しい歌劇場を灰にした。大きな衝撃のあまり引きこもるリヒャルトに、歌曲でも書くよう勧めたのは息子のフランツだ。そこで取り出してきたのが、2年前に書き写していたアイヒェンドルフの詩「夕映えの中で」である。老境にあって共感できる詩句が多くあったのだろう。長年連れ添った妻パウリーネは扱いにくい性格ではあったが、二人はまちがいなくおしどり夫婦だった。

そして次に彼が選んだのは、よりによって、戦時中徹底して反ナチ活動を展開した詩人ヘッセだった。ヘッセはリヒャルトの生き様も音楽も嫌悪し、この歌曲についても「洗練された技巧的な美しさはあるが、核がなく自己満足に過ぎない」とにべもなかった。そもそも、屈折したアウトサイダーの詩人と、内面の葛藤とは無縁な(ように見える)作曲家が相容れようか?だが、84歳、亡くなる前年に完成したこの歌曲は紛れもなくリヒャルトの終活の書なのであり、珍しく彼の心奥がにじみ出ているといえよう。彼もパウリーネも、この歌曲の初演(1950年)を聴くことも、破壊された歌劇場が美しく蘇ったことも知ることもなく世を去った。

作曲者は演奏順を指定しなかったが、人生の春夏秋冬を辿るようなこの順がしっくりこよう。<春>では、この季節の天気のようにめまぐるしく移り変わる調性、風に翻弄される分散和音、不安と希望の間を行き交う幅広い声域が駆使される。仏教に通じたヘッセにあっては「諸行無常」の春だったかもしれない。<9月>のフルートとヴァイオリンによる雨と葉の音描写には美しい絵本を見る思い。歌と管弦楽の繊細な絡みはリヒャルトならではだが、夏の終わりを淋しく告げるのがあの「英雄」の象徴ホルンであるとは、何たる心境の変化!<眠りにつくとき>の低弦による厳粛な導入で世界が一変する。チェレスタと木管による星が瞬く。白眉は沈黙する声に代わる独奏ヴァイオリンの子守唄。いよいよ絶唱となるとき、詩句にはやはり「輪廻転生」といった仏教のイメージが漂う。沈みゆく太陽が最後に放つ光のようなスフォルツァンドで始まる<夕映えの中で>では、刻々と変化していく空の色までもが見えるようだ。時間が停まるかのような錯覚は、密かな拍子の変化によるものだ。若き日の作≪死と浄化≫の旋律がこだまし、彼岸の響きの中でピッコロがヒバリの声を模倣する。しかしヒバリは「希望」を告げる鳥ではなかったか。

この歌曲をしみじみと味わえるようになったら、それは「老い」かもしれない。さて最後の音の余韻の中で、しばし人生を振り返ることにしようか。
≪参考文献≫
吉田秀和「永遠の故郷 夜」集英社
田代 櫂「リヒャルト・シュトラウス-鳴り響く落日」春秋社
V.ミヒャエルス「ヘルマン・ヘッセと音楽」 中島悠爾訳 音楽之友社

 

~フィルハーモニカー・ウィーン・名古屋 第6回演奏会 (2016年6月26日) プログラムノート~
©ふぃお~ら2016

 

 

コメントは受け付けていません。